2014年1月22日水曜日

【SPECについて考えるのに必要かもしれないこと】 SPEC考察 追記

SPEC公式twitterが語ること


さて、前回は映画ってのは考えながら観るもんだ!って話をしましたが、今回はSPECについて考える助けになりそうな情報について書いておきたいと思います。

何でこんなことをするかっていうと、僕の記事でアクセス数が多いのはSPECの記事だからですw

洋画中心のブログなんだけどなあ……笑

前回の記事で「考えろ!」って言ったので、SPECファンが作品について考えるときの助けになればいいのかなっていうのもあります。

ていうのも、僕が書いたSPECの考察もいろんなことを考えましたが最後は観た人次第!みたいなまとめ方をしたんですよ。

なので、僕の記事を読んでくれた方も、ハッキリした全貌がつかめていないと思うんです。

SPECってのはそういう映画なので考えにくいですが、逆に言うとそういう映画なので考えると楽しい映画でもあります。

そこで、今回はSPECの公式twitterアカウントでおそらく植田Pが書いたと思われる文章を提示しようと思います。

これを読んでどう考えるかは皆さんにおまかせしますw

前回の記事で書いた「考える」ってことを実践してもらおうかなって思ったのもありますし、僕自身が植田Pの抽象的な文章をかみ砕いて記事に出来るだけの解釈が出来そうにないっていうのもありますw

植田Pの文章は本当に抽象的で哲学的なので、ハッキリ何かが分かるってことはないかもしれませんが、SPECでやりたかったことは何かっていうのはなんとなく分かるかなと思います。

SPECファンの方にはとりあえず読んでみることをおススメします。



(以下コピペ)

去年の今頃は、SPECの零と結を撮っていたね。結の全貌はまだ誰にもわからなかった。暗い闇の中には星があるけれど、白い霧の闇の中では何も見えなくて。仲間の声のする方に、ただ、むかっていったんだ。その時に時代も次元さえも超えて、今いる仲間は宿縁で結ばれている、そんなことを思った。

シュレッディンガーの猫。ウケる。そう。真実は観測されるまで同時に複数存在している。観測したものを人は「事実」と認定するけれど、観測されなかった真実。可能性と呼ぶ方がわかりやすければそう呼んでもいい。あの時、あの仲間であの場所にいたのは偶然の産物ではなく奇跡のかけあわせだった

時折、この風景はどこかで見たことがある気がする、と思う。あの頃の未来に自分は今いるのだ、と思う。違う場所にいたかもしれない自分。いや、殆どは場違いなところにいるに違いない。ごくごくたまに、居場所に居られるんだ。

居場所に居られる、ということ。それは誰かが自分を見つけてくれたから。居場所がないなんてことはない。誰かが自分を見つけてくれたから、この世界にいるのだ。その「誰か」はかけがえのない誰かだ。偶然生まれてきた命などない。結は、そんなお話なんです。SPECって皆に備わっているものだからね。

目の前のことしか見えなくなっている時は、いっそ目をつぶって何も見ないほうがいい。上も下もないくらいに闇と対峙するといい。その闇の中で、いくつも同時に存在している自分の「未来」に立てばいい。未来は、ぼんやり待っていればただのこのことやってくるものではなく、自分で向かっていく場所だ。

GOOD LUCK!!  まもなく、夜が明け、誰にも等しく陽は昇る。その陽を受けるために進もう。一歩でも二歩でもいい。それだけで世界は変わる。

人の夢と書いて儚いです。人生は残酷ですし真実はもっと残酷です。

真実を知らず、その幸福を知る人何処や。

雨は夜更け過ぎに雪に変わるかも知れない。その事を知る。覚る。其の事は幸福か。如何に無垢に見える白雪も最後はアスファルトの塵に汚され消えていく。ならば、白雪の最後を見届けないことの幸福はある。

死は全ての終わりとされているが、晩節を汚すという、全てが終わらない死もある。晩節か。晩節を人に目撃されるより、誰も目撃されない山の中で消え行く雪のように、誰にも看取られず誰にも気取られず、クラゲが海の中に消え行く様に。芥の海に沈みたい。

間もなくSPECがおわり、夢の終わりが近づいている。今までありがとう。やがて天は土に帰り、歴史はリセットに向かう。

名誉や地位は幻想なのに男たちは何に向かうのだろう。天空の星など望むべくもなく地上の星でさえなく。伝説を残したとしても誰もその英雄の真実に辿り着くことはないのだ。

人生五十年。化天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり。信長が最後に見た世界とは何だったんだろうか。

化天ではなく本当は下天。天の下では、全ての栄枯盛衰など夢幻の如くという意味なんです。しかし、天などあるのか、化天の中で生きているのではないか、そんなことを思うのです。

(コピペ終了)



うーん。深い。

深すぎて難しいですけどw

でもSPECの醍醐味っていうのはこういう製作者側の想いを踏まえて作品をかみ砕くところにあったと思います。

ちょっと前に公式アカウントなのに作品と関係ないことつぶやきすぎじゃないかって言われて、宣伝んしかしなくなった時期がありましたが(SPECのパロディAVのSPEXが問題になってた時です)、やっぱりSPECはいろんな情報(プロデューサーの上みたいなつぶやきを含む)から作品を解釈することを楽しむ映画だなと思いますよ。

あの時アカウントにケンカ売ったフォロワーの人は分かってなかったな……なんてw

とりあえず、SPECでやりたかったことの端っこだけでも、理解することができたでしょうか?

分かってくると楽しいですよね、映画見るのが。

映画の楽しみはそこにありますよ笑
考えることは大事ですよ!

0 件のコメント:

コメントを投稿