2014年1月5日日曜日

【また、映画の歴史が変わった。】 『ゼロ・グラビティ』

2013年最高の映画体験






[作品情報]

タイトル:ゼロ・グラビティ(原題:GRAVITY)


監督:アルフォンソ・キュアロン
脚本:ホナス・キュアロン
制作:デビット・ヘイマン
音楽:スティーブン・プライス


出演:サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー


公開:2013/12/13


ストーリー
医療技師を務めるライアン・ストーン博士は、スペースミッションに初めて参加する。ライアンが指揮を務めるマット・コワルスキーとシャリフと共に、宇宙空間での船外活動を行っていると、ヒューストンの管制から、膨大な量のスペースデブリ(宇宙ゴミ)が高速で接近しているため、船内に避難するよう緊急連絡が来る。ロシアが自国の衛星を破壊したところ、他の衛星も連鎖的に破壊され、宇宙ゴミが拡散してしまったという。スペースシャトルが宇宙ゴミと衝突し、2人は宇宙空間に投げ出されてしまった。空気もなく無重力の宇宙から、二人は生還することができるのだろうか。











[予告編]



2013年も終わろうとする時に、ものすごい映画がやってきた!

今年映画館で観た映画は、あまりこれといったものが無かったなあなんて思っていた年の瀬(というかそもそも映画館に観に行った映画が大したことない作品ばかり……笑 もっと有意義な作品をスクリーンで観たかったw)

このまま年が終わるのかと思いきや、ものすんごい作品がやってきました!!

その名も『ゼロ・グラビティ』!!

公開される前からアカデミー候補だの、革命だのと絶賛レビューが聞こえてきていて、なんとクリスマス当日に(男とw)期待感MAXで見に行ってきました。

観に行って、良かった(笑)

これは観に行くべき映画ですよ。ぜひ、映画館に観に行って頂きたい。ていうかこの映画、映画館で観ないと意味がないと思います笑

映画館の大スクリーンと最新技術の3D、そして左右の音響装置が最大限活かされた作品です。

できればIMAXがあるシアターで観れれば良かったんですが、残念ながら僕の住んでいる地域には普通の映画館しかなく……。

それでも本当に美しい作品でした。

特筆すべきは開始直後から始まる15分ほどの長回しの映像。最初に船外活動をする二人の姿と無重力の様子が美しい地球と共に描かれ、スペースデブリが到来する瞬間が緊迫感を持って再現されています。

このスペースデブリ到来の様子なんですが、人工衛星の欠片が彼らの乗る宇宙船やハッブル宇宙望遠鏡にぶつかっても衝突音が出ないんですね、無重力だから。

『スターウォーズ』シリーズなんかでは宇宙戦艦が爆発したりものすごい音で描かれていますが、実際あんなふうに音が出ることはないんですよ。それをこの映画では正確に描いていて、またそれによって音もなくデブリが飛んでくるという恐怖感につながっているんですね。

その後にデブリがぶつかって、サンドラ・ブロック演じるライアン博士がぐるぐると回ったまま宇宙空間に放り出されてしまうところが描かれるのですが、このシーンがこの作品で一番素晴らしいシーンだったと思います。

なぜならこのシーンに、『ゼロ・グラビティ』の醍醐味がたくさん詰まっている。

どんどんと宇宙船(この時には既に残骸のようになっていましたが笑)から遠ざかり、ぐるぐるぐるぐると回って飛んでいくライアンを外側から撮ったあと、少しずつライアンに近づいていって宇宙服の中に入り、彼女目線の映像に変わるという一連の流れの映像の美しさ。自分も回っているような感覚になります。

宇宙服に表示される酸素残量が少ないという警告には自分も息が詰まるように感じました。

そして無音の宇宙の中、一人放り出されたライアン博士の激しい息と心臓の音だけが画面に響く場面。

これがすごい緊張感なんですよね。

ほんとに宇宙に行って酸素が薄くなってるような…鼓動が早くなっているような…。そんな感覚になっていくわけですよ。

リアルに描かれてた映像によって、自分自身も宇宙に放り出されたような気分になる……。

それが『ゼロ・グラビティ』の醍醐味なんです!!

これを体験するために映画館に行くべきなんです!!

ストーリーとかじゃなく、第一に楽しむべきは映像体験

そんな映画なんですよねえ。


映像だけではなかった!細かいプロットやメタファーの数々

映像が素晴らしいとはいえ、それだけではないんです。

ストーリーに荒さがあったり、「それはちょっと無理だろう」と思うところはいくつかあっても笑、注目すべき点がいくつかあるんですね。

例えばコワルスキーと離れてしまい、酸素も少なくなったライアンが、ギリギリで国際宇宙ステーションに辿り着き宇宙服を脱ぐシーンがありますが、あそこで彼女は宇宙服を脱いだ後、丸まったような形で少しの間漂っています。

ギリギリの状況から無事生き延びたことに安堵し、あのような体勢になっていたのでしょうが、その姿がまるで胎児のようなんですね。

宇宙ステーションの入り口近くの丸い小さな部屋の真ん中に彼女が丸まって、彼女の後ろにあるパイプがへその緒に見え、まるで生まれる前の胎児のようです。

このシーンは子供を亡くしてからまだ立ち直れていなかった彼女の精神状態を表していると思うんですね。

というか、地球から遥か離れた地で死にそうな体験をして、本能的に退化というか、安全な胎内に戻ろうとしたと思うんです。

そしてそれは同時に、どこかマイナス思考というか、あきらめがちだった彼女が生まれ変わる。ということの暗示だったと思うのです。

実際、この後にピンチに遭遇した際、別れる(死ぬ)直前まで諦めようとしなかったコワルスキーのことを思い出して、彼ならどのように対処するかを脳内でイメージし(このシーンはちょっぴり笑いました)、生きるために勢力的に行動を始めます。

彼女が子供の死を受け入れ変わることの暗示として、胎児のようなライアンを描いたのではないかと思いました。

そして生きようとする意志を捨てず、ライアンは地球に戻ってくるわけですが、地球に戻ってきてからもピンチは続きます。

なんと海に落ちてしまうんですね笑

本来なら外から開けてもらって脱出するんでしょうが、彼女の宇宙船では火災が発生していたため自分で開けなくてはいけませんでした。

外から引っ張り出してくれる人がいない状況でドアを開けてしまったので一気に水が入り込み、水圧で外に出られなくなってしまうんです。

結局宇宙船と共に一度沈み、水圧が同じになってから脱出して生き延びるんですけれどね。

宇宙での恐怖を味わった後、今度は水中でも恐怖を味わうわけですからほんとに恐ろしい映画です笑

ここで少し思ったのはタイトルについてです。

この映画での恐怖は宇宙だけでなく水中でのことも(少しとはいえ)描いているのだから、原題のGRAVITYのままでよかったのではないかと思ったんです。

原題のままなら、宇宙ではゼロになったグラビティの怖さと、水中では重荷になるグラビティの二つの意味を持たせられたんです。ゼロをつけてしまうと宇宙のことだけになってしまいますからね。まあ細かい話です。

で、水中から泳いで陸まで辿り着き、ゆっくりと立ち上がる(宇宙では歩かないので足の筋肉を使いません。なので長い宇宙任務から帰ってきた人はしばらく歩けません)のが最後のシーン。

どのくらい宇宙にいたのかは分かりませんが、帰ってきてすぐ自力で立てるのかよ!wとは思いましたが、強いですねえライアン博士は笑

あり得ない!と思うかもしれませんが、ストーリーを考えればここで立ち上がってもらうべき理由があるんですねー。ここにきてさっきの胎児の描写が意味を持ってくるんですよ。

つまり、人間という生き物が隕石か何かに乗って宇宙から地球に飛んできて(DNAだか何だかが飛んできて海洋生物になった。みたいな説がありますよね笑 詳しくは知りません笑 みなさん各自で調べてみましょう笑)海の生物になり、そしてその海の生物が陸に上がっていった。という歴史を、ライアンという女性の復活・生まれ変わりの象徴として描いているのではないかということです。

そのように考えてみれば、少しばかり無理やりな設定も意味を持って見えてくる…気がしてきませんかね笑

以上のようなことを意識して鑑賞すると、ただの映像体験にとどまらず楽しめるでしょうし、また新たな発見があるかもしれません。

いずれにしろ、この映画は映画館で観るべき作品です。

本当に多くの人に映画館でこの作品を観て欲しいです!


~追記~
若干どうでもいい話ですが、アルフォンソ・キュアロン監督はあのハリーポッターシリーズの三作目『アズカバンの囚人』も監督したことのある人物です(これまた余談ですが、個人的にポッタリアン―ハリポタオタクのこと。シャーロック・ホームズオタクはシャーロキアン―な僕は、アルフォンソ・キュアロン監督はシリーズの世界観を壊した野郎だと思っています笑 クリス・コロンバスが作り上げた素晴らしい魔法の国に、世俗的なマグルのティーンの世界観を持ち込むなんて……。しかしながら彼の罪は、今回の『ゼロ・グラビティ』という功績によって消え去りました笑 僕は彼を許すことにします笑笑)。

そして、『ゼロ・グラビティ』で制作を務めたデビット・ヘイマンという人物。彼はハリーポッターシリーズでも、シリーズ通して制作を務めた人物です。

つまり、キュアロン監督は制作を務める男と以前に仕事をしたことがあったわけです。

こういったことも、素晴らしい作品を作り上げられた要因なのかもしれません。

以上ちょっとした話でした。

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