2013年12月1日日曜日

【クリストファー・ノーラン×ザック・スナイダー 最強のタッグ炸裂!!】 『マン・オブ・スティール』

2013年8月30日に公開されたマン・オブ・スティール。僕も公開直後すぐに観に行ったのですが、その時に書いていたレビューがあったので加筆修正をして掲載します。

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天才二人によるスーパーマン!!





[作品情報]

タイトル:マン・オブ・スティール(原題:Man of Steel)


監督:ザック・スナイダー
制作・クリストファー・ノーラン
脚本:デヴィッド・S・ゴイヤー
音楽:ハンス・ジマー


出演:ヘンリー・カヴィル、エイミー・アダムス、ラッセル・クロウ、アイェレット・ゾラー、ケビン・コスナー、ダイアン・レイン、マイケル・シャノン、アンチュ・トラウェ、クリストファー・メローニ、ローレンス・フィッシュバーン


公開:2013/08/30


ストーリー
遥か彼方の惑星クリプトン。滅びる寸前のその星のジョー=エルは、生まれたばかりの息子カル=エルを宇宙船に乗せて地球へと送り出す。地球に到着したカル=エルは、偶然宇宙船を発見した父と母によってクラーク・ケントと名付けられ、大事に育てられるが、自分が周りとは違うことに苦悩しながら成長した彼は、自分のアイデンティティを探す旅に出る。そんな時、クリプトン星の生き残りのゾッド将軍が地球を急襲し、彼は将軍と対峙することになる……。





[予告編]



「あれを見ろ!」「スナイダーだ!」「ノーランだ!」「マン・オブ・スティールだ!」

クリストファー・ノーランザック・スナイダーという二人の天才によって作られたスーパーマン。前評判から絶賛の嵐だったので期待MAXでした。しかも、ノーラン大先生といえばダークナイトトリロジーで有名になった監督。リアリティあふれるヒーロー造形に関しては保証されているようなもので、安心して映画館へ足を運ぶことができました。

実際に映画を観てもその期待は裏切られず、まさに流石の一言。現実には存在していないスーパーマンを徹底してリアルに描き、地球人としてのクラーク・ケントとクリプトン星人としてのカル=エルという二つのアイデンティティの間で苦悩するスーパーマンにすんなりと入っていけました。

アメコミファンでもそうじゃない人でも、スナイダーファンでもノーランファンでも(あるいは両方のファンでも)、アクションとしてのスーパーマンとしても考えながら観られるスーパーマンとしても楽しめるこの作品。本当に素晴らしかったと思います。

まずこの映画、スーパーマンの映画なのに、「スーパーマン」という言葉がタイトルには入っていません。というか、劇中でも一度しか出てこないですw

これは一体何故なのでしょう。

思うに、「今までのスーパーマンとは違うんだぞ」ということなのでしょう。スーパーマンといえば人類の救世主のような存在になっているけど、この映画ではまだ違うんだぞと。まだ彼は準備段階にいて、クラーク・ケントという人間(正確には宇宙人)がスーパーマンになっていく段階を描いているんだぞということを表しているんだと思うんですね。

実際にこの映画では敵を倒すということよりも、クラーク・ケントがどのように成長するか、また、どのような影響を受けて成長していくのか、というところに重きを置いているような気がしました。

ダークナイト三部作の1部目『バットマン・ビギンズ』において、ブルース・ウェインの父親の哲学が三部作全てのブルース・ウェインの行動に影響を与えたのと非常によく似てますね。

他にも『マン・オブ・スティール』ではこれまでのスーパーマンとは違う点が多々あります。

たとえば、今回のスーパーマンは赤パンツを履いていません。確かに冷静になって考えてみると、スーパーマンは全身青タイツ(この青タイツも、過去の作品に比べてアーマー感の強い素材になっています)の上から赤パンツを履いているわけですから、かなりおかしな状況です。しかし、青タイツに赤パンツ!の姿に慣れてしまった僕たちにすれば少なからず違和感のある格好です。

他にも、スーパーマンの上半身には有名な”S”の文字がついていますが、この映画ではこれは”S”の文字ではなく、クリプトンで”希望”を意味する記号なのだという説明があります。”S”に似ているのは偶然だというのです。

こういった設定はおそらくノーランの意向でしょう。タイツの上からパンツを履くのは普通に考えてオカシイし、違う星からやってきたヒーローの胸に都合よくスーパーマンを表す”S”の文字がついているのはオカシイ!というわけです。

この作品の一つのコンセプトとして、スーパーマンが現代に存在したら、というのがありますので、徹底的にリアルを追及した結果だと思います。

自分探しの旅に出たクラークが点々とアルバイトをする、などの描写もこのようなコンセプトがあるからだと思われます。

アクションシーンにみるアメリカの陰

普段はアクションの監督をおかずに自ら演出をし、またなるべくすべてを実写で撮影するため、地味だといわれがちなノーランのアクションも、ザック・スナイダーのおかげでCGをフルに使った派手なアクションシーンになっていました。

ただ非常に迫力のある戦闘シーンだったものの、映画を見ながら

「ちょっと 建物壊しすぎなんじゃないか……?」

と思ったのも事実です(笑)。ひくくらいに破壊、粉砕、爆発のオンパレードw人々を救うはずのスーパーマンが、アメリカのヒーローの象徴ともいえるスーパーマンが、悪を倒すためとはいえメトロポリス(スーパーマンが住む架空の都市)の街を破壊しすぎるというのはどうなのでしょう。スーパーマンとは人間なら誰でも救う存在のはずです。それなのに、戦闘中の事故とはいえビルや自動車を破壊し、その中にいた人々は救われない。スーパーマンはそのことを気にかけない。

そこに僕は少し違和感を感じました。彼はバットマンではありません。普通の人間にはない特殊能力をもった人間(というかクリプトン星人)です。人間からすれば彼は神様のような存在であり、救世主です。そんなスーパーマンが!です。街の被害などほとんど考えることなく、ただ目の前の敵に突っ込んでいくのです。この闘いが彼のデビュー戦であるという理由もあるでしょう。彼がまだ人間を信頼しきれていないというのも一つの理由かもしれません。それにしてもですw!彼はスーパーマンなんです!!w

どちらかといえば陽気で明るいスーパーマンが、ピンチの時には颯爽と駆けつけてくれる。彼はそんなヒーローです!瓦礫の下敷きになった人のところへ駆けつけてくれるのがスーパーマンなんじゃないのかな……。そんな風にも思ってしまいました。

では、そこまでしてアメリカの都市を焦土に変えたザック・スナイダーは何を訴えたかったのでしょう。少しばかり好意的に解釈するのならば(笑)、アメリカには似つかわしくない荒れ果てた姿は、執拗な破壊の描写は、傲慢なアメリカの(ひいては人類の)行く末に、警鐘を鳴らしていると捉えることができるのではないでしょうか。

またそのような難しいことを考えず、作品の展開的に考えるのならば、クラークはまだ地球を守るために活動したばかりで人類を救うことに慣れていないというのもあるかもしれません。

『バットマン・ビギンズ』でも、ブルース・ウェインはよく怪我をしていました。しかし次作の『ダークナイト』『ダークナイト・ライジング』では自らの哲学に基づいて行動するようになっていきます。

そういう点で、クラークにまだのびしろがあるという意味で、『マン・オブ・スティール』も『ダークナイト』のような続編に期待ということですね。


人類を導く鋼の男、そして彼を導く偉大な二人の父

滅びゆく惑星クリプトンから息子を脱出させる時、ラッセル・クロウ演じる産みの父親(厳密には産んでないですけどw)カル=エルはこう言いました。

「お前は人々の希望になる。人々はお前を目指し、挫折もするだろう。しかし、いつの日か、人々はお前と共に奇跡を起こすだろう」

ある種予言めいたこの願いはやがて地球へと届き、ケビン・コスナー演じるジョナサン・ケントに引き継がれることになります。

クラークは普通の人間ではありません。クリプトン星の恒星である赤色太陽と地球の恒星である黄色太陽には放射能の違いがあり、クリプトン星で生まれたクラークは地球ではすさまじいパワーを使えるのです。しかし、幼少期の彼はそのパワーを上手くコントロールできずに苦しみます。そんな息子に、ケビン・コスナー演じる育ての父は言います。

「力を使うべきではない。まだ人類がお前を受け入れる準備が出来ていないのなら」

悩みながらも人々を救おうとしてきたクラークに、力を使ってはいけないと言うのです。クラークはその言葉によって、自分の力を抑えることを学びます。そして力を欲望や権力のために使うのではなく、自分が地球に受け入れられるために使おうと考えたのです。

父親という存在はノーランの作品を見るうえで重要なポイントです。『インセプション』では主人公コブの(実の父親ではないが)父が夢に入る方法を教え、コブを現実へと導きました。

ダークナイトトリロジーではブルース・ウェインの父親が落ちることの意味を教えました。

そして、この『マン・オブ・スティール』では二人の父親が方法や言葉は違えど、人類の救世主となるように導くのです。破壊の連続となる後半に比べて、父親の言葉が響き、クラークが成長していく前半は暗いがとても美しい。

また、陰の父親ともいえる神父の言葉も、物語において重要な役割を果たすことになります。幼い頃から自分が人とは違うということに悩み、自分という存在を探す旅に出たケントは神父に向かってこう告白しました。

「地球人を信じて良いか分からないのです」

ピンチになった友達を救ったものの、友達から恐れらてしまうという経験をし苦しんできたクラークの心境です。父にも人類はまだお前を受け入れる準備ができていないと言われています。

しかしその迷いに神父はこう答えます。

 「まずは、あなたから信じてみてはどうでしょうか。信頼は、そこから始まります。」
 
この言葉に動かされたクラークは、人類を信じて飛び込んでみることにしました。だからこそクラークは自分のことを怪しみ、恐れ、脅威にさえ思っているであろう軍隊に向かってこう言い放ちます。

「信じてくれ」

彼は地球に受け入れられるために、地球を信じました。一度は自分が地球人ではないということで辛い経験をしたものの、自分が受け入れられるためには、まずは地球を信じなくてはいけないということを悟ったのです。

これはまさに『インセプション』においてサイトーがコブに言った言葉と同じなのです。

「保証はできない。だが信じて飛び込むしかない。それとも老いぼれていくかだ。後悔を抱えたまま、孤独に死を待つか」

言葉を信じて夢に飛び込んだコブは、子供たちの待つ現実に帰ることができました。そして人々を信じられたクラークは、地球を守ることができたのです。




クリストファー・ノーランが好きすぎて、なんとなく彼に焦点をおいて考えすぎたような気がしますがもう好きすぎるのでどうしようもないですねw

2015年には続編が公開されることも予定しています(ベン・アフレックがバットマン役で出演。ワンダーウーマン役にガル・ガドットが内定したようです)。今からどのような続編になるのか、待ちきれないです!

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